12月13日(金)20:00放送の「あしたも晴れ!人生レシピ」に出演される桜井浩子さん。
桜井浩子さんといえば、ドラマ「ウルトラQ」や「ウルトラマン」のヒロイン役で一世を風靡した女優です。映画『曼陀羅』では、大人の女性として新たな一面を見せ、その多才さを証明しました。近年は円谷プロで活躍し、YouTubeチャンネルも開設してファンとの交流を楽しんでいます。
そんな桜井浩子さんですが、若い頃の生活や、現在が独身なのか、結婚歴はどうか、さらには本名や実家の家族構成についても気になるところです。
また、その日本人離れした西洋の美しい外見から「ハーフ説」も浮上しています。これらについて詳しく調査し、桜井浩子さんの生い立ちや経歴をご紹介します!
桜井浩子のプロフィール・基本情報
友人の漫画家矢吹健太朗さんからプレゼントされたというTシャツを見事に着こなす桜井浩子さん!(出典:2022年1月30日桜井浩子X)
桜井浩子のプロフィール
氏名 | 桜井 浩子 さくらい ひろこ |
本名 | 古矢 浩子 |
生年月日 | 1946年3月4日 |
年齢 | 78歳(2024年現在) |
出身地 | 東京都目黒区 |
身長 | 155cm |
ニックネーム | ロコ |
職業 | 女優・円谷プロダクション所属のプロデューサー |
桜井浩子さんは身長が155センチ!思ってたより低かったよ
そうね、モデルもしていたから高身長というイメージがあったけど、意外と小柄なのね
現在、桜井浩子さんは78歳というのも驚き!
少なく見積もっても10歳は若く見えるわ
本名は桜井ではない?
本名は「古矢浩子」
桜井浩子さんの本名は、実は「桜井浩子」ではなく、「古矢浩子」です。
しかし、デビュー当時の東宝の社内誌では、本名が「桜井浩子」であることが確認できます。つまり、桜井さんが生まれたときの名前は「桜井浩子」だったということです。
東宝の社内誌には「本名:桜井浩子」と記載(出典:@yakannabe X)
実際、桜井浩子さんが女優デビューを果たした際、東宝側から「さくらひとみ」という芸名が提案されましたが、桜井さんは本名の「桜井浩子」を選び、その名前で活動をスタートしました。
そのため、最初に芸能活動をしていた時期は「桜井浩子」として知られ、ファンにもこの名前で親しまれました。しかし、結婚などのプライベートな事情が影響し、後に「古矢浩子」と本名の姓が変更されたと考えられます。
本名の「桜井浩子」名でデビューしたんだね
桜井浩子は独身?結婚してる?
結婚歴は?
桜井浩子さんの本名が「古矢浩子」であることから、一般的には結婚を経て姓が変わったのではないかと考えられます。
女性の場合、結婚後に姓が変わることが多いため、桜井さんも一度は結婚し、「古矢」姓を使用するようになった可能性が高いです。
ただし、結婚や家族についての詳細はほとんど公にされていません。最近のインタビューや公的な情報では夫について触れられることはなく、現在は独身である可能性もあります。
本名「古矢浩子」表記でのFace Bookも存在しています。
離婚した?
もし桜井さんが結婚後に離婚した場合、離婚後も「古矢」という姓を戸籍上でそのまま使用している可能性があります。
日本では、離婚後も婚姻時の姓を名乗り続ける人が少なくなく、桜井さんもそのように戸籍上では「古矢」姓を残しているのかもしれません。
桜井浩子さんのプライベートについてはあまり明かされていないから正確なところはわからないけど、どちらにせよ、桜井浩子さんが素敵であることには変わらないわ!
桜井浩子の生い立ちと実家家族構成
はじめの一歩はこの写真から、、、講談社[なかよし]の少女モデルに応募して当選した。そして女優を目指しウルトラヒロインになった。 この写真は私の大事な宝物です。(出典:桜井浩子X)
桜井浩子の家族
桜井浩子さんは1946年3月4日、東京都で生まれました。
戦後間もない時期、日本全体が困難な状況にあった中、桜井さんの家庭は比較的恵まれていました。父親は進駐軍向けにハーモニカを売るセールスマンとして成功し、目黒区の広い屋敷に家族で暮らしていました。
父親の事故で急転した生活
ところが、桜井さんが5歳の時、父親が風呂場で転倒して大怪我を負い、その後入院。仕事を失った父親と家計が急激に悪化し、家族は生活環境の大きな転機を迎えます
桜井さんの家族は、目黒区の広い屋敷から、貧しい長屋がひしめき合う「マーケット」と呼ばれる場所へ移り住みました。
まるでフランス人形みたいです(出典:fukkan)
桜井浩子の幼少期
家族4人(両親と弟)は4畳1間の狭い部屋で暮らし、壁はベニヤ板1枚、風呂なし、トイレや炊事場は共同という厳しい環境でした。
それでも桜井さんは、周囲に多くの子どもたちが住んでおり、楽しく過ごしていたと言います。遊びの中で苦痛を感じることはなく、幸せな時を過ごしていたのです。
芸能界への道のり
10歳でモデルデビュー
桜井浩子さんの芸能界入りは、1956年に始まります。まだ10歳の頃、講談社の少女雑誌『なかよし』にて、写真小説「ひとみちゃん」のヒロインに抜擢。
これが彼女の初めてのメディア登場であり、この時からその美貌と演技力に注目が集まります。
これは1960年代の「少女雑誌 なかよし」の表紙だよ
(出典:Wikipedia)
現在の「なかよし」とはだいぶ雰囲気が違うわね。時代を感じるわ。
なかよし2020年7月号(出典:Amazon)
写真小説「ひとみちゃん」の作者が瀬戸内寂聴さんであったことも、桜井浩子さんが注目を浴びる要因だったんだ
子役としてのスタート
モデル活動と並行して、女優としての夢を実現させるため、児童劇団に入団した桜井さん。1957年には映画『船頭姉妹』に子役として出演。
これをきっかけに桜井さんは映画業界で本格的に活動を始めます。
妹の誕生と一時的な引退
ところが、1958年、桜井さんにとっては大きな出来事がありました。妹が誕生し、母親は産後の体調不良で長期間入院することになりました。
家事や妹の世話を任された桜井さんは、家族を支えるため、しばらく芸能界から遠ざかることになります。
桜井さんは1946年生まれだから妹とは12歳の年の差だね
桜井浩子はハーフ?
ハーフ説は噂
桜井浩子さんには「ハーフ説」があります。彼女の目鼻立ちがはっきりとしており、どこか外国人風の美しい容姿から、ハーフではないかという噂が広まっているようです。
桜井浩子さんの若い頃。確かにハーフ?と思ってしまうほどお若い時から美人ですね(出典:One Map)
しかし、実際には桜井さんは日本人の家系で育ったとされています。そのため、このハーフ説はあくまで噂に過ぎません。
こちらはファンからの声です。やはり、桜井浩子さんには外国人風のハーフという印象を持っている方が多いようですね。
桜井浩子さん、本当に美しいですね。子供の頃、『ウルトラマン』のヒロインとして登場していたことを思い出すと、どこか神聖な存在だった感じがします。
最近、古いウルトラマンの映像を見返してみたのですが、今見ると、当時よりもさらに可愛らしさが増していて、驚きました。
エキゾチックで無国籍感があり、濃い目の顔立ちと、少し鼻にかかったような声が魅力的です。
海外でもサイエンスパトロールのフジ隊員として、潜在的な人気が高いみたいですね。
「フランス女優に似ている人」コンテストに応募
桜井浩子さんの美しい容姿が注目されたのは、若い頃からでした。
特に、「ジャクリーヌ・ササールに似ている人」コンテストに友人が応募したエピソードが有名です。このコンテストに友人が勝手に応募するくらい、桜井さんは日本人離れした、どこかハーフっぽい雰囲気を持っていたことがわかります。
映画「お嬢さん、お手やわらかに」
左:ジャクリーヌ・ササール
右:アラン・ドロン (出典:aucfree)
ジャクリーヌ・ササールは、フランスの女優で、1940年3月13日に生まれ、2021年7月17日に81歳で亡くなっているよ。
桜井さんがアラン・ドロンさん来日時に花束を贈ったエピソードも、まさにレジェンドならではの話よね。
桜井浩子さんが応募した「ジャクリーヌ・ササールに似ている人」コンテストでは、年齢制限により失格となってしまいますが、運命は彼女に微笑みます。
このコンテストで東宝のプロデューサーが桜井さんを見いだし、1961年に中学卒業と同時に東宝に入社することが決まりました。これが彼女の女優としてのスタートとなり、後の成功への道が開かれることとなったのです。
コンテストがきかっけで東宝に入社
東宝に入社した桜井さんは、「オール東宝ニュータレント」第1期生として、同年映画『紅の海』で本格デビューを果たします。
その後、映画『青べか物語』や『社長外遊記』などに出演し、若干15歳ながらその演技力で注目を集めました。
桜井浩子さんの若い頃(出典:One Map)
特に『青べか物語』では、名優・左卜全との共演が話題となり、桜井さんは「スリー・チャッピーズ」としても売り出され、東宝の若手スターとして確固たる地位を築きます。
桜井浩子の経歴
ここからは桜井浩子さんの「ウルトラマン」シリーズで一世を風靡した時から現在に至るまでの歩みをわかりやすくご紹介します。(*表記は満年齢)
(出典:bgm.tv)
特撮ヒロインとしての誕生
1966年(20歳) – 『ウルトラQ』と『ウルトラマン』で一世を風靡
桜井浩子さんの名前が広く知られることとなったのは、1966年のこと。テレビドラマ『ウルトラQ』でカメラマン・江戸川由利子役を演じ、特撮界に登場。
その後、同年に放送された『ウルトラマン』では、科学特捜隊のフジ・アキコ隊員役として出演し、ウルトラヒロインの先駆者として名を馳せます。この役で多くのファンを魅了し、ウルトラシリーズの顔としての地位を確立しました。
1967年(21歳) – 『ウルトラセブン』にも登場
さらに桜井さんは『ウルトラQ』と『ウルトラマン』での成功を経て、『ウルトラセブン』にもゲスト出演。ウルトラシリーズへの貢献はその後も続き、シリーズ全体にわたる重要な役割を果たしました。
女優としての幅広い挑戦
1971年(25歳) – 映画『曼陀羅』で新たな一面を披露
桜井浩子さんは、特撮の枠にとどまらず、映画でも活躍の場を広げます。
1971年には映画『曼陀羅』に出演し、ヌードシーンを披露。この作品は彼女にとって、女優としての幅広い演技力を証明する代表作となり、観客に強い印象を与えました。
自伝と後輩への支援
20代、桜井浩子さんの若い頃。(出典:fukkan)
1993年(47歳) – 円谷プロダクションへの所属と新たな挑戦
桜井浩子さんは、1993年に円谷プロダクションに所属し、女優業だけでなく、コーディネーターやプロデューサーとしても活動を広げていきます。
1994年(48歳) – 自伝『ウルトラマン青春記』を出版
桜井さんは、特撮業界での経験を活かし、1994年に自伝『ウルトラマン青春記―フジ隊員の929日』を出版。
この書籍は、ウルトラシリーズの出演者やスタッフによる自伝的著作の先駆けとなり、ファンにとって貴重な読み物となりました。
2005年(59歳) – 『ウルトラマンマックス』に再登場
さらに桜井さんは2005年、テレビドラマ『ウルトラマンマックス』でヨシナガ教授役としてレギュラー出演。
特に、当時のウルトラヒロイン・フジ隊員役を演じた黒部進さんとの再共演は、ファンの間で大きな話題となりました。
近年の活動とYouTubeチャンネルの開設
2021年(75歳) – 「ROCO TALK」でファンと交流
桜井浩子さんは、YouTubeチャンネル「ROCO TALK」を開設し、ファンとの交流を積極的に行っています。このチャンネルでは、特撮やウルトラシリーズについてのインタビューやトークを行い、精力的に活動を続けています。
桜井浩子さんのYouTubeに黒部進さんが出演(出典:YouTube「ROCO TALK」)
SNSでの活動と後輩育成
さらに、桜井さんは2021年8月に、かつて共演していた俳優・二瓶正也さんの訃報を受けて、Twitter(現「X」)を開設しました。
桜井さんは「明日は我が身。覚えていることを皆さんにお知らせしておきたい」と心情をつづり、ファンとの絆を深めるために活用しています。
また、円谷プロでのコーディネーターとしての仕事も続けており、後輩の育成や業界発展への貢献を惜しみなく行っています。
桜井浩子の受賞歴
桜井浩子さんは第18回(2008年度)日本映画批評家大賞「ゴールデン・グローリー賞」を受賞。
彼女が長年にわたって女優として活躍し、特に「ウルトラマン」シリーズでのフジ・アキコ役をはじめとする素晴らしい演技が評価された証ですね。
桜井浩子さんの著書・写真集
著書
- 『ウルトラマン青春記―フジ隊員の929日』
- 『ヒロコ ウルトラの女神誕生物語』
桜井浩子さんは、女優業にとどまらず、これまでの経験を自伝としてまとめた書籍を出版。特に『ウルトラマン青春記―フジ隊員の929日』は、ウルトラシリーズの裏話や撮影の思い出が詰まっており、特撮ファンにとっては必読の書となっています。
(出典:Amazon)
写真集
『桜井浩子写真集 act ULTRA』
この写真集は、ウルトラシリーズの初代ヒロインとして活躍された桜井浩子さんの魅力がたっぷり詰まった、ファン待望の一冊となっています。
桜井浩子写真集 act ULTRA(出典:Amazon)
まとめ
桜井浩子さんの基本情報と本名
桜井浩子さんは1946年3月4日生まれ、東京出身の78歳。
彼女の本名は「古矢浩子」であり、結婚後に「古矢」姓を名乗るようになったと考えられますが、現在も婚姻中なのか、離婚後も「古矢」姓を使用しているのかは明確ではありません。
幼少期と家族構成
桜井さんは、両親と3人兄弟(本人、3歳下の弟、12歳下の妹)の家庭で育ちました。
元々は裕福な家庭でしたが、桜井さんが5歳の時、父親がケガをして仕事を失い、家計が急激に悪化。
その結果、家族は長屋での生活を余儀なくされました。それでも、桜井さんは困難な状況の中で希望を捨てず、芸能の道を目指しました。
ハーフ説と芸能界デビューのきっかけ
桜井さんの「ハーフ説」は、彼女のはっきりとした顔立ちやエキゾチックな雰囲気から生まれた噂に過ぎませんが、実際には日本人です。
しかし、その外見の魅力がきっかけとなり、友人が桜井さんを「ジャクリーヌ・ササールに似ている人」コンテストに無断で応募。これがきっかけで、東宝にスカウトされ、女優としてのキャリアが始まりました。
経歴~現在
・桜井さんは10歳でモデルデビューし、その後、子役を経て中学卒業と同時に東宝に入社。映画『紅の海』で本格デビューし、東宝の若手スターとして名を馳せました。
・特に『ウルトラQ』と『ウルトラマン』でのヒロイン役で一世を風靡。その後も映画やテレビで活躍し、円谷プロダクションに所属。
・近年ではYouTubeチャンネルを開設し、特撮やウルトラシリーズに関するインタビューやトークを行うなど、精力的に活動を続けています。
今回は、12月13日(金)20:00放送の「あしたも晴れ!人生レシピ」に出演される桜井浩子さんを取り上げました。
当日の放送と併せてお楽しみいただけますと幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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